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392 A SwordsmanS Last

    ふと気が付くと、男は仰向けに倒れていた。


    視界には抜けるような青空が広がっており、手を伸ばせば届きそうですらある。


    見事なまでの、晴天であった。


    そんなことが、思考を過ぎったせいだろうか。


    何気なく男は実際に伸ばしてみようと思い……だが、失敗した。


    何故だか、腕が動かなかったのだ。


    それをどういうことかと、疑問に思い――


    『――見事だ、人間』


    不意に聞こえた声に視線を向ければ、そこにあったのは巨大な山であった。


    否、それはそうとしか思えないほどに巨大な何かである。


    そして男はそれを見て、ようやく思い出した。


    自分が何をしていたのかを……それと、どうしてこんなことになっているのかを、だ。


    「ふむ……どうやら我輩の勝ちのようであるな」


    『……そうだな。そちらは四肢の一つすらも欠けてはいないが、こちらはご覧の有様だ。間違いなく、貴様の勝ちだろう』


    声は、その巨大なものから聞こえているわけではなかった。


    そのすぐ傍に転がっている、それと比べればあまりにも小さなものから聞こえているのだ。


    巨大なそれは胴体であり、小さなものはその頭部であった。


    もっともそれはあくまでも相対的な話であって、その小さいものですら、男よりも遥かに大きいのだが。


    そんなものを眺めながら、男は一つ溜息を吐き出した。


    「……まあ正直なところ、あまり勝ったという実感はないのであるがな。貴様死んでおらんし。というか、そんな状態でも喋れるとか、一体どうなっているのだ?」


    『ふん……我は龍だぞ? さらにはその中でも、頂点に立つ存在だ。こんな姿になったところで、そう簡単には死なぬ。そしてそもそも我は声帯を震わせて貴様に語りかけているわけではないからな。その程度のことは造作もない』


    そう、それは龍であった。


    誇張された紛い物や、それを模して作られた偽者などではない。


    本物の、現存している数少ない神秘の一つだ。


    空を羽ばたけばその雄大さに人は目を奪われ、また恐怖を抱く。


    絶望と厄災、最強の象徴である。


    そのでたらめっぷりは、首を斬り落とされても未だ死んでいないあたり、よく分かるというものだろう。


    「まったく……これだから超常の存在は困るのだ。色々と非常識に過ぎる。首を狩られたら素直に死んでおけというのである」


    『そんな我を、人の身で殺してみせた貴様が言うか? 非常識っぷりでは我ですら貴様には及ばんよ。普通であれば、我を殺すなど勿論のこと、その刃を届かせることすら不可能なのだからな』


    「まあだからこそ、我輩は貴様に挑んだのであるがな。我輩の剣は果たして至れたのかを、知るために」


    そう、龍は人に厄災をもたらす存在ではあるが、男は別にそれが理由で戦いを挑んだわけではなかった。


    最悪の中の最悪。


    龍の中の龍。


    人によっては龍神などと呼ぶそれに向かっていったのは、単純に、戦ってみたいと、試してみたいと思ったからである。


    自分が鍛え、身につけた剣の腕。


    世界最強と呼ばれ、その自負もあるそれが、果たして通用するのか。


    自分は、剣の頂へと辿り着くことが出来たのか。


    それを問い質し、証明するための戦いが、これであったのだ。


    『そしてその結果は、既に出た。貴様の剣は、とうに我々の域に及んでいる。人の身で、よくぞそこまで鍛え上げたものだ』


    「……そうか。我輩は、ついに剣の頂へと辿り着くことが出来たのであるか」


    『うむ……それはこの我が認めよう。間違いなく、貴様は辿り着いた。だからこそ、我を殺し得たのだ』


    その言葉に、全てが報われた気がした。


    ひたすらそればかりに費やした人生であったのだ。


    ただ剣のことのみを考え、その腕を磨くためだけに駆け抜けたのである。


    そこに後悔はない。


    あるわけがない。


    自分は望んだことを全力で行い、そして成し遂げたのだ。


    後悔など、しようはずもなかった。


    『そして故にこそ、再度言おう。見事である、と』


    「……我輩は正直貴様を殺したこと自体はどうでもいいのであるがな」


    『ふん……我を殺したのは、あくまでも証明するためだけ、か。もっともだからこそ、貴様はそこに辿り着けたのであろうし……それだけで、我も満足だ。――が』


    そこまで言ったところで、不意に龍がその雰囲気を変えた。


    龍という神秘を体現したかの如きそれは、なるほど神と言われれば頷きかねないほどのものである。


    そしてその中で、それは言った。


    『ここまで満足したというのに、何もせぬというのは我の沽券に関わる。そこで、貴様に一つ問おう。何か望みはないか?』


    「……言っている意味が分からぬのであるが? 殺した相手に望みを聞くとか、マゾなのであるか? それとも、聞いておきながら、聞いただけだとか言い出す性悪であるか?」


    『だから言っただろう、沽券に関わる、とな。我はこれでも神を名乗っているのでな。自分だけが満足し何もせんというのは出来んのだ』


    「……そう言われてもであるな。剣の頂へと辿り着いた以上は何も望むものなどないし……そもそも、望んだところで無意味であろう。我はどうせ、今すぐにでも死ぬ身である」


    それは確定した未来であった。


    腕が動かないということは、そういうことだ。


    文字通りの意味で、全てを以って打倒したのである。


    そのまま命が尽きるのは道理であったし、それも含めて男は何一つ後悔してはいないのだ。


    『貴様が望むのであれば、その身体に再び命を吹き込むことも可能だが? まあ、貴様はそれを望むまいがな』


    「まあ、そうであるな。望みを果たした以上は、既に未練など――」


    瞬間、脳裏に一つだけ過ぎったことがあった。


    未練というのであれば、男がたった一つだけ思い浮かべる、それであった。


    もっとも、男に家族は既になく、友人や恋人などを作ることはなかった。


    だからそれは、人に対してのものではなく……かつて一度だけ覚えた、羨望であり、憧憬だ。


    ――魔法。


    既にこの世界からは失われたと言われているそれを、使ってみたかった。


    それが男の、唯一の心残りだ。


    とはいえ、それを口にすることがなかったのは、無意味だからである。


    それは確かに未練ではあったが、男は剣の道を選んだのだ。


    ならば例えここで命を永らえることがあったとしても、その道を新たに探すことはないのである。


    まあ、或いは、生まれ変わるようなことでもあれば話はまた別ではあるが……それこそ、口に出したところで無意味だろう。


    だから、何もいらない。


    この満足だけを胸に、ひっそりとこの生を、ここで終わらせる。


    そう答えようとし、しかし既にそれは出来ないことを悟った。


    男の身体は、とうに限界を超えていたのである。


    いつ命の灯火が消えてもおかしくはなく……それがついに訪れたと、そういうことであった。


    だが龍も、満足そうな男の顔を見れば理解するだろう。


    そう思って――


    『……ふむ、それが貴様の願いか。了解した。神としての我を以って、必ずや叶えてみせよう』


    最後に何かを言われた気がするが、それが意識に上ることはなく。


    男は、そのままその生涯に幕を下ろしたのであった。
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